南海放送60年史
76/136

68第6節 東日本大震災と危機管理福島第一原発3号機爆発の瞬間有力な情報源となり、ラジオ各局がラジオ受信機を被災地に送るキャンペーンを行った。総務省も自治体が開設する臨時災害放送局(コミュニティFM)の免許を電話1本で認可した。多くのテレビ局やラジオ局では、放送した内容を公式のTwitterアカウントで発信した。また、Googleは「Google Person Finder 2011 日本地震」という消息情報の登録・照会サイトを開設。NHKをはじめ新聞社、警察庁、自治体がデータを提供するなど、ネットとの連携も行われた。 被災地への支援活動は、自衛隊の10万人態勢の構築や全国の自治体からの応援体制、ボランティアセンターの立ち上げなど、阪神淡路大震災の教訓が生かされた面もあった。 福島第一原発事故  3月11日、東日本大震災の発生により、福島第一原発で運転中の1~3号機の原子炉は自動停止した。15時37分、1号機のすべての交流電源が津波で押し流された。38分、3号機が全交流電源を喪失した。配電盤など配電系が浸水した。配電盤のほとんどは地下一階に集中して配置されていた。2号機も電源を失った。 16時40分頃、東京電力から経済産業省原子力安全・保安院に原子力災害対策特別措置法による15条(緊急事態)の通報があった。19時03分、菅首相は、放射能漏れのおそれがあるとして原子力緊急事態宣言を発令した。20時50分、福島県知事が原発2キロ圏内に避難指示を出し、21時23分には、政府が半径3キロ圏内の住民に避難、半径3~10キロ圏内の住民に屋内退避の指示を発令した。政府事故調の報告では、この頃1号機の炉心損傷が生じて格納容器から放射性物質の放出が起きたとしている。 12日5時44分に半径3キロから10キロに避難指示エリアが広がった。15時36分に福島第一原発1号機が水素爆発した。福島中央テレビの原発監視カメラが爆発の様子を収録、放送した。爆発映像を見て、放射性物質の放出を現実のものとし

元のページ  ../index.html#76

このブックを見る