63[社史 第2部] 第2章 デジタルコンテンツのマルチユース税法案を閣議決定し、6月に衆院で社会保障・税一体改革関連法案を可決、8月に参院本会議で可決・成立させた。法案成立を目指して、民主、自民、公明の3党首会談が行われ、野田首相が「関連法案が成立した後、近いうちに国民の信を問う」と発言し、解散総選挙への流れが加速した。 中村知事、野志市長誕生 愛媛県の加戸知事は、2010年9月14日の県議会本会議で、翌年1月の任期満了を待たずに退任する意向を正式に表明した。加戸知事は自民党県連が「保守分裂選挙」という“生みの苦しみ”を経て、1999年の知事選挙で誕生させた知事だった。県知事は自民党国会議員と県議団、そして、各自治体の首長との調整機能など重要な役割を果たしている。 自民党県連は“ポスト”加戸県政をにらみ、自らの影響力を保ちつつ、保守県政の改革・発展にも意欲のある後継候補が必要だった。国政レベルでは民主党政権が誕生しており、有権者の政治家に対する意識も変化しつつあった。 こうした政治環境の中、自民党が推薦したのは松山市の中村時広市長だった。同年11月10日、中村時広市長は、愛媛県知事選挙に立候補するため市長を辞職し、11月28日に行われた知事選挙で初当選を果たした。 一方、知事選挙とダブル選挙となった松山市長選挙で、自民党県連は大きく揺れた。市長選挙に先立ち、松山市議会の自民党会派は2つに分裂。中村氏に近いとされる13人が、新会派・松山維新の会を立ち上げ、市議会最大会派となっていた。 市長選挙には、中村市長の事実上の後継候補として、南海放送アナウンサーで、『もぎたてテレビ』のキャスターを担当していた野志克仁氏が立候補した。野志氏は、松山維新の会や連合愛媛などの支援を得た。 これに対し、自民党県連は元県議の帽子敏信氏を擁立した。しかし、党内の候補者一本化調整に失敗し、元市議も立候補
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