25[社史 第2部] 第1章 地上デジタルテレビ放送開始インタビューなどで優勝を振り返った。 済美の快進撃はその年の夏も続き、夏の甲子園大会で準優勝した。学園歌の一節「『やれば出来る』は魔法の合いことば」は全国的な話題にもなった。 済美高校のグラウンドを訪れると、隅々まできちんと清掃されて草一つなく、用具も磨き上げられて整理整頓されており、創部2年余ですでに野球名門校に並ぶ教育が行き届いている。強さを裏付ける一要素である。 それから9年後、2013年の春の選抜甲子園では、2年生ながら最速150キロオーバーの豪腕・安樂智大投手を擁し全国準優勝。夏の甲子園大会出場も決め、惜しくも3回戦で花巻東に敗れたが、「安樂投手が3年生になる来年こそ夢の日本一よ、もう一度」の声がはやくも多くの県民から寄せられ、野球王国愛媛の本領発揮が期待される。 プロサッカー「愛媛FC」の始動 2006年3月には、愛媛FCのJリーグ初シーズンがスタートした。愛媛県や松山市等の行政の支援、サポーターの署名運動、前年のJFL初優勝などの実績が認められてのJリーグ加盟であった。愛媛県総合運動公園のスタジアムの改修には、知事公舎の売却益が充てられた。 愛媛FCの前身、愛媛フットボールクラブが設立されたのは、Jリーグが発足した翌年の1994年である。 南海放送では、同年、照明施設やクラブハウスを南海放送サンパーク運動広場に設置して、練習場を提供した(練習場は2010年に梅津寺に移転)。 当初のクラブ経営は、ユースやスクールなど、選手の育成に力点を置いていた。2001年に愛媛FCがクラブから独立してJFLに入会し、2003年11月には、新たに自治体や企業の出資や人的応援を募って株式会社愛媛FCを発足させた。J2に昇格する前後2005年から2007年まで2年間、南海放送からは権名津朗がゼネラル・マネージャーとして出向した。愛媛出JFL初優勝でJ2昇格へ(2005年12月)
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