南海放送60年史
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17[社史 第2部] 第1章 地上デジタルテレビ放送開始つかった1本の脚本を台本どおりにリメイクした。田中和彦が企画・構成し、ラジオドラマ全盛期ならではの実験的手法が伝わる秀逸な番組として評価された。みかん一座の地域活動  戒田節子アナウンサーがミュージカル劇団「みかん一座」を立ち上げたのは1984年である。愛媛で最初のアマチュアミュージカル劇団である。29年間「サンシャイン・アイズ~輝け瞳!~」を合言葉に、「ふるさとを元気に!」するための活動を続けてきた。故郷を題材にした戒田脚本の多くの創作ミュージカルを公演し、高齢化・いじめ・戦争と平和など、社会問題をテーマにした作品にも取り組んできた。これらは自治体イベントや放送と連動したものも多い。 その中で、シーボルトの娘・イネが宇和町(現 西予市)で過ごした日々を描いた1992年5月24日放送のラジオドラマ「平成オランダおいね考」を、「オランダおイネ~一番星咲いた~」として舞台化した。この作品は、幕末の長崎で西洋医学を教えたドイツ人シーボルトと日本人女性との間に生まれた楠本イネを主人公にした物語である。イネは、シーボルトに学んだ宇和島藩医二宮敬作に招かれて宇和町で医学を学んだ。のちに官軍総司令官となる村田蔵六(のちの大村益次郎)には宇和島で蘭学を学び、その最後をみとった。 みかん一座は、宇和町あげての支援を受けて1993年5月(宇和文化会館大ホール、松山市総合コミュニティセンターキャメリアホール)と2001年8月(宇和文化会館)に地元の人たちも大勢出演して公演。2004年10月には、「シーボルトの娘・イネ」とタイトルを変え、シーボルトの故郷、ドイツ・ビュルツブルクで公演し好評を博した。 2007年6月には、ひきこもりの若者たちと一緒に「夢へんろ~どんな時も希望をすてず~」を東京(吉祥寺・前進座劇場)と松山(松山市民会館中ホール)で公演し、彼らが社会へ踏み出すきっかけになった。そのドキュメントは南海放送が制作ドイツ公演本番イネを演じる戒田アナウンサー現地のポスター(ビュルツブルク)

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