13[社史 第2部] 第1章 地上デジタルテレビ放送開始ての選定になった。ビキニ事件に挑む『わしも死の海におった』 1954年におきたビキニ事件は、米国がビキニ環礁で行った水爆実験でマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」をあび、乗組員が被ばくした事件として記憶されている。事件から半世紀後の2004年、伊東英朗ディレクターは、高知県宿毛市で、地元の被災船員らから聞き取り調査を続ける元高校教諭・山下正寿さんとその教え子らのグループの存在を知る。 水爆実験では多くの船が被ばくした可能性があるが、日本政府は乗組員の健康被害について追跡調査を行うこともなく、被ばく者として認定することもなかった。乗組員や遺族から、時に拒絶されながらも粘り強く被ばく実態を取材し、ローカル番組として『わしも死の海におった~証言・被災漁船50年目の真実~』を2004年5月28日に放送した。 この番組は、地方の時代映像祭グランプリと石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞を受賞した。さらにこの番組を再編集し、『NNNドキュメント’04 わしも死の海におった~証言・もう一つのビキニ事件~』(10月10日放送)として放送した。2005年、続編となる『葬送の海』を制作し、2008年には『メメントモリ(死を忘れるな)~ビキニ水爆実験54年目の真実~』(5月28日放送)を制作した。同番組では、南海放送が独自に入手した米国原子力委員会の機密文書により、放射性降下物が日本全土を覆っていたことを裏づけ、地方の時代映像祭奨励賞を受賞した。地方の時代映像祭グランプリ石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞受賞
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