98第6節 ラジオの未来予想ラジオ創業のDNA 60年を振り返れば、ラジオ南海の草創期の当社はローカルラジオ局にも関わらず「ラジオドラマの自社制作」と「自前の報道」を標榜して、85名という大人数での船出になった。そのDNAは現在も形を変えて引き継がれている。 当時の一番の人気コンテンツはラジオドラマであった。 人々は決して安くないラジオを、一生懸命貯金して手に入れ、“家族みんなでラジオドラマを聴く”というのが、昭和30年前後の幸せの風景であったときいている。そのラジオからは数々のヒット曲も生まれ、「昭和歌謡」という音楽のジャンルが今に残っている。まさにラジオが、聴取者の生活、或いは大げさに言えば青春の一部であった時代だ。 昭和40年代以降のテレビ全盛期を迎えても、ラジオはその折々に新しいコンテンツを提供してきた。1966年(昭和41)のビートルズの来日やグループサウンズ、フォーク・ロックのアーチストが次々に若者を熱狂させた頃は「深夜放送のDJ番組」がそれであったし、セールス枠の取り合いになったほどスポンサーニーズの高かった「プロ野球ラジオナイター中継」も、歴史的人気コンテンツと言える。 61年目からのラジオ では、61年目からのラジオはどこに向かっていくのか。 ここからは私たちが考えるラジオの「未来予想図」を展望しておきたい。 よく耳にするのが、『テレビに比べ影響力が弱く、インターネットに比べ伝達範囲とスピードに劣る「ラジオ」という媒体は、消えてなくなるのではないか?』という論調だ。 ラジオ先進国と言われているアメリカのラジオ界は、「地上波ラジオ収入は2019年まで平均伸率2.0%増(民放連研究所調査)で推移する」と予測されている。一方では、6,000万人の会員組織を持つ「パンドラ」のようなインターネットラジオの
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