南海放送50年史
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きっかけとなり、わが社も同年10月1日からネット番組のカラー放送を開始した。1967(昭和42)年頃からカラー受像機の普及が目立ちはじめる。それはカラー受像機の量産体制が進み、13~16型の小型受像機が出回りはじめて、12~13万円で購入できるようになったためである。生産台数を見ると、1965(昭和40)年が9万8,000台、1966(昭和41)年に52万台、1967(昭和42)年に128万2,000台と飛躍的に伸びている。カラー放送をめぐる情勢の変化と、最初からカラー設備を持って開局することが確実なUHF局の出現にそなえ、わが社でもカラー放送設備の拡充計画を進めることにした。まず本館の改修と歩調を合わせて、カラー用のビディコンカメラ一式とプロジェクターを設置し、15周年記念日にあたる1968(昭和43)年10月1日、フィルムとスライド各1チャンネルの運用を開始した。これによって、自社送り出しフィルム番組の本編がカラー化された。ついで同年11月1日、カラーVTRの運用を開始し、これによってネット及び自社番組のうち、カラー番組として制作されたものは全てカラーで放送されることになった。引き続きカラー・チャンネルの増設によって1969(昭和44)年3月4日からスポットのCMフィルム、4月20日からは番組中のCMフィルムもカラー化された。さらに8月1日、テロップカードもカラーで放送できるようになったが、翌2日にはカラーフィルムの自動現像機の備え付けが完了した。これによって8月10日、NHKをふくむ四国各社のトップを切ってローカルニュースのカラー化が実現した。このカラー化計画は1970(昭和45)年5月のカラー中継車とVTR車導入によって完了した。この結果、6月第1週から自社制作番組はすべてカラーで放送されることになった。わが社でのコンピュータ導入は1972(昭和47)年6月であっコンピュータシステムの構築78第2章 大いなる飛躍へ導入されたカラー中継車とVTR車

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