南海放送50年史
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った。その中の「公害」は松山市大可賀門樋に丸善石油が増設した石油タンクをめぐる住民との対立をとりあげた。民家のまわりは異臭が立ち込め、油もれで漁港の砂は黒く汚れて魚介類は姿を消した。住民が押しかけた松山市役所は対応部署がないとして相手にならず、消防署も規制に立ち上がろうとはしない。住民の怒りの声をとりあげたこの番組はいちはやく公害に目を向けたものとして民放連盟会長賞を受賞した。テレビでも独自のニュース報道が注目を集めている。松山市溝辺の農地利ざや事件のスクープとキャンペーンである。松山市から浄水場用農地買収のとりまとめを依頼された松山市の市議会議員らが農地法による複雑な転用手続きを悪用して3,000万円近い利ざやを不当取得していた。報道部の余田実、福岡二栄記者が中心になり、1967(昭和42)年6月26日夕方のテレビニュースを皮切りにキャンペーンを張り、新しい事実や不正の手口を解明した。わが社の報道によって松山市議会、松山東警察署が動き、買収あっせんにかかわった土地の区長、市議が逮捕された。利ざやは返還され、松山市はあらためて元の土地所有者から用地を買収することができた。この時期、継続的にとりあげた報道活動に、尾道-今治ルート・瀬戸内海大橋建設をめぐる動き、北宇和郡津島町北灘の原発設置反対運動などがある。ラジオ・テレビ報道体制の強化は、地域における信頼を確実に高めることになった。わが社はテレビ開局にあたって日本テレビの系列に参加し、ニュースのネットを受けてきた。そのネットワークの中心となりゴールデンアワーの午後9時に編成された『今日の出来事』が1962(昭和37)年4月以降、数回にわたる時間移行を経て1966(昭和41)年4月から午後11時へ移された。一方で、NNNの成立76第2章 大いなる飛躍へ

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