南海放送50年史
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者にねらった生ワイド番組である。火曜日~土曜日は午後1時から同2時まで、日曜日は午前10時~同11時という変則的な番組編成になったが、「男性おしゃれ専科」、「きょうの雑学」などのコーナー仕立てにポップスを中心とする音楽をリクエスト方式で織り込んだ。この番組は企画の段階から広告会社の関心を呼び、理髪店の業務用椅子メーカーとして知られる宝椅子、ポマードの丹頂(現マンダム)などが提供に決定した。おしゃれと男性というユニークなコンセプトから、ラジオ番組としてはひさびさに好調な滑り出しとなった。5月からはラインネットのスタートもあり、日曜日だけの放送に縮小されて長くは続かなかったが、ラジオ再生の模索を続ける中で手ごたえを感じさせた番組であった。1964(昭和39)年9月にスタートした『海をゆくみなさんへ』(月曜日~土曜日・午後0時45分~同50分)も瀬戸内海を航行する船舶にむけての海事情報である。対象を絞り込んだ番組が情報の独自性のために、かえって広い聴取者を引きつけた。ラジオにもう一つの転機が訪れた。JRN(ジャパン・ラジオ・ネットワーク)への参加である。キー局からのラジオ番組は録音テープによる番組まわしが簡便なため、プロ野球などのスポーツ実況中継などを除いてラインネットは形成されていなかった。1964(昭和39)年7月、東京放送の生ワイド番組の一部を毎日放送、RKB毎日放送がラインネットしたのをきっかけにラジオ・ネットワークの形成が提唱されることになった。この構想は音声回線の共同専用を軸として、幹線から各局へ分岐するものである。この当時、わが社の東京-松山間の音声回線はC線と呼ばれる第3規格で、音質になやまされることが少なくなかった。東京放送の呼びかけは音質改善の好機でもあり、参加を決定した。ラジオ・ネットワークは1965JRNへの参加73第2節 放送システムの近代化

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