南海放送50年史
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3.勤務時間を大切に守りましょう。4.時短による余暇の活用につとめましょう。ラジオ営業収入はテレビ開局半年後の第12期(1958年12月1日~1959年5月31日)の7,842万円をピークにはやくも下降線をたどり始めた。第14期以降は前期比マイナス10%が続き、第20期(1962年12月~1963年5月)には月平均895万円と1,000万円台を大きく割り込んだ。テレビの急速な普及で、家庭での娯楽の中心はラジオからテレビに入れ替わり、広告主もラジオからテレビへ重点を移し始めた。営業もいきおい引き合いの多いテレビを主体とした活動に傾きがちとなった。「ラジオは聴かれているか―」1964(昭和39)年6月、わが社は松山市と新居浜市の市民400人を対象に、アンケート方式によるラジオイメージ調査を行った。分析の結果、これまでと違うラジオ聴取者像が浮き上がってきた。ラジオは日常の暮らしにしっかり根をはって生きていた。「ラジオを抜きにした生活は考えられない」との答えが72%を超えており、小型化したラジオは茶の間のメディアから個人聴取に変わったが、パーソナルな媒体として活用されていることがわかった。企画部副部長松崎茂和はこの調査結果をふまえて番組構成、制作コスト、仕事の流れなどラジオを精密に分析した『ラジオ対策のための資料』をまとめ、体質改善のための検討課題を提示した。この年、民放連による『ラジオ白書』はラジオを日常生活に密着した「生活の随伴者」と位置づけた。1963(昭和38)年10月にスタートした新番組『おしゃれタイム』はこの時期から注目され始めたマーケティング手法を取り入れ、理髪店という一種、業界誌に似たターゲットを聴取ラジオの再生を求めて72第2章 大いなる飛躍へ

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