南海放送50年史
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欠点があるため、1970(昭和45)年4月には第2号機に入れ替えられた。APSは人為的な放送事故を減らしたばかりでなく、マスター業務、番組・CMのスタンバイ作業に余力を生み、日常業務に対する社員の意識を変えることになった。APS導入のもう一つの目的は労働時間の短縮(時短)である。時短については労使のあいだで「1965(昭和40)年10月をめどに、なるべくはやく成案を得てすみやかに実施する」との協定が結ばれていた。この年6月、会社は部長以上による勤務調査委員会を設置して全社の仕事の量、流れを把握する一方、愛媛大学助教授越智昇、同川本健二、産業能率研究所所長三好太良の3氏に依頼して業務の実態を洗いだした結果、生産性が損なわれることなく労働時間の短縮は実施可能との結論が得られた。さらに常務会において検討が行われ、11月上旬には1966年5月からの時短実施案が労働組合に提示された。実施案は1週間の労働時間を拘束44時間、実労働38.5時間とし、業務によって①土曜半休 ②2週3休の2本立てとすること。1961年1月から試験期間をもうけて、5月の本実施までは土曜は隔週半休、2週3休についても4週5休として暫定的に経過をみるというものであった。一方、労働組合はこれを増員のない時短であり、労働強化につながるとして反対し、愛媛県地方労働委員会に斡旋を申請した。このため1月からの試験実施は見送られたが、地労委の斡旋をうけいれ、3月1日からの試験実施ののち、5月10日から労働時間の短縮が実現した。その時、社内に掲げられた標語がある。1.私たちの時短が、地域社会に快くうけいれられるようみんなで努めましょう。2.時間のムダをなくし、時間を有効に活用しましょう。労働時間短縮へ71第2節 放送システムの近代化

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