南海放送50年史
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15日は自衛艦13隻、巡視艇19隻のほか約80隻の漁船が出動した。ダイバーによる遺体の捜索が続けられたが、潮流の変化がはやく、海が荒れて視界がきかなかった。捜索現場は緊張と疲労が渦巻いていた。この日の夕方、大阪府警と全日空のヘリコプターが空中衝突して2機とも海に墜落、二重遭難となり4名の犠牲者を出した。YS-11墜落原因の調査にあたった運輸省航空局の楢林主席審査官は、ゴーアラウンドの際にエンジン、またはプロペラになんらかの故障が発生、空港への着陸を急いだパイロットがエンジン出力の不十分なまま左に旋回しようとして失速した可能性があると語った。17日に海中から引き揚げられたエンジンとプロペラのうち、プロペラの羽根1枚が折損してエンジンから遠く離れた海底で発見され、楢林氏の見方を補強したが、真相解明には至らなかった。報道部の余田実記者は全日空の岡崎社長に「全日空が羽田沖と松山沖と1年に2度もの航空機事故を起こしたのは、なにかが欠けているのではないか」と詰め寄った。岡崎社長は「なにかが欠けている。しかし、事故は一つだけの原因で起きるのではない」と答えた。この悲惨な航空機事故の原因の一つが、全長1,200メートルという短い滑走路にあることは確かであった。YS-11墜落事故の取材には日本テレビ、讀賣テレビ、西日本放送などの応援を得たが、未確認の3遺体を残して年末、捜索がいったん打ち切られるまで、機材の運搬、現場との連絡、取材車両、弁当の手配など全社を挙げてのバックアップ態勢がとられた。ラジオは報道経験のある土居俊夫制作部副部長が引き受けた。14日から19日までの6日間、午前10時から同55分までの『報道特集・YS-11墜落事故』を放送した。ラジオの身軽さを生かして、午後の番組にも現場からの生中継を織り込み、執拗なまでに遺体や捜索状況、機体の引き揚げと事故原因に関する情報、捜索にともなう漁業補償問題などを伝えた。大67第1節 放送会館と経営近代化つめかけた各社のテレビ中継車悲しみにくれる遺族船上からテレビVTR取材

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