南海放送50年史
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特別番組『東京オリンピック開会式ダイジェスト』を1時間45分にわたってカラー放送するなど大会種目20競技のうち15種目を中継し、特色とするカラー放送に力を入れた。この年、NHKのテレビ受信契約数は1,566万3,000世帯に達し、「オリンピックをカラーで見たい。カラーで見せたい」(三菱電機)などのテレビCMが放送された。カラーテレビは16インチ型が19万円~22万円、21インチ型は27万円もしたが、東京オリンピック大会の映像はカラーテレビの圧倒的な魅力を伝えた。『シャボン玉ホリデー』、『ディズニーランドシリーズ』などの人気番組がこれを後押しした。1969(昭和44)年にはカラーテレビの普及率は10%を超えて、加速度的普及に拍車がかかった。城山テレビ局舎時代の1963(昭和38)年2月24日、北宇和郡津島町沖で漁船第55天王丸がしけに遭って沈没、2名が死亡、12名が行方不明となった。早田清美カメラマンがヘリコプターで飛び立ち、映像は仮設の送り出し装置を使い、25日正午からの『日本テレニュース』で3分25秒にわたって全国に放送された。ヘリコプターのチャーターも全国ニュースへの逆ネットも、わが社としてはこれが初めての経験だった。それまでニュース素材は航空便で日本テレビに送っていたが、時代の激動期を迎えて速報体制と機材の強化を急がねばならなかった。その象徴的な事件が起きた。1964(昭和39)年6月7日、瀬戸内海を走る関西汽船船上で河野一郎建設大臣をかこみ、瀬戸内海総合開発をテーマに愛媛県知事らとの会談が行われた。また同日開催の愛媛県教職員組合の定期大会で、文部省による学力一斉テスト実施の際、成績を上げるために教師による不正行為が行われたとの事実が発表されることになっていた。これらの取材で放送記者、カメラマンが出払っていた日曜ローカルニュースの拡充63第1節 放送会館と経営近代化カラーテレビ受像公開会場の看板カラーテレビにむらがる市民ヘリコプターで取材に向かう早田カメラマン

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