南海放送50年史
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パターンが映し出されると、顔に汗を浮かべた部員たちから期せずして拍手がわき起こった。皆で手をとって喜びあった。テストパターンの音楽を担当していた今泉芳純はテープを回す指先がふるえるほどの感激を覚えているという。わが社は毎事業年度のスタートにあたり、経営レベルが策定した「重点課題」を基本に、本部、局(センター)・支社、関連会社による「業務計画」が作成される。そこには前年実績の評価、新事業年度の営業収入ほか達成目標が掲げられており、期首にひらかれる副部長会議の場で検討されたのち、小冊子にまとめられ、全社共通の意志として徹底をはかる。第1ページには「経営指針」が掲げられる。最初に『業務計画』が社員に配られたのは、1963(昭和38)年1月である。ラジオ・テレビの急成長にともない、よくいえば自由だが、規律に乏しい職場の意識改革、組織で仕事を進める考え方の徹底、乱雑な職場環境の改善が必要であった。同年4月からは毎月『社報』が編集発行されるようになり、「社達」、「通達」が制度化された。業務改善ではファイリング・システムが導入され、書類を分類管理し、資料として共有化する新しい仕事のあり方が指導された。労務政策でも、芯の通った経営姿勢が示された。第一次給与体系の整備が着手され、年功要素を圧縮した職能給の導入が行われた。労働組合と退職企業年金制度の検討について協定するなど、矢継ぎ早な業務改革と積極的な経営姿勢が打ち出された。8月12日、大幅な機構改革と人事異動が発令され、5局15部2室、2支社、1中継所、4営業所となった。翌年3月に迫った放送会館への移転を社員は身の引き締まる思いで迎えることになった。「業務改善」意識の徹底57第1節 放送会館と経営近代化

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