南海放送50年史
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て地鎮祭が営まれ、南海放送会館建設工事が開始された。約1か月間、基礎工事は順調に進んだが、本館の地下掘りが完了する直前に予期せぬ障害が立ちはだかった。記録的な長雨に見舞われたのである。降雨をみなかったのは4月が10日間、5月に至ってはわずか5日間だけ。工事現場は大きな池となってしまった。翌年2月の竣工予定を変更することはできない。仕事の遅れを取り戻すことに全力が傾けられた。9月下旬、塔屋までのコンクリート打ち込みが終り、建物の全容がうかがえるまでになった。10月25日、定礎式が挙行され、定礎の辞を刻んだ銘板、設計図、全従業員の署名簿、当日の新聞などが納められた。敷地は本館南側の宅地を買い入れることができたので、4,182平方メートルに拡張した。ここに中庭をはさみ、本館と向き合うかたちで車庫をかねた2階建て、和室、ホールなどを持つ厚生棟の建設が着手された。城山テレビ局舎の無人化工事も進められた。テレビ放送は新しいテレビ主調整室でリモートコントロールされる。無人化にともなう防災設備も施された。年が明けた2月18日、放送会館への移転がはじまった。ほこりの舞う工事現場で、建築資材などを片付けながら放送機器の据え付けがはじまった。できるだけ現用の放送機器を使う方針を決めていたので、放送に支障を出さないように、ぎりぎりまで動かすことができなかった。ラジオは2月26日、テレビは2月29日、放送会館からの放送に切り替えられた。テレビは前夜11時45分の放送終了後、フィルムプロジェクターなどを解体し、県庁裏にでる夜の山道を運び下ろした。新しいテレビ主調整室とテレシネ室で網の目のようにはりめぐらされたケーブルを、1本のまちがいもなく正確につないでゆく。調整部、技術部の社員たちは皆、必死に作業を続けた。夜が明けた。午前10時10分、マスターのモニターにテスト56第2章 大いなる飛躍へ右側建設中のスタジオ棟建設中の放送会館

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