南海放送50年史
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45が、それには八幡浜テレビ局の同時建設が必要と判断された。松山からのテレビ映像をマイクロルートでうけるには距離が長すぎる。松山テレビ局の放送電波を直接、八幡浜テレビ局でうけ、八幡浜局の放送電波を宇和島テレビ局にリレーすることにした。同年5月、八幡浜局は西宇和郡瀬戸町権現山に、また宇和島局は宇和島市光満の泉ケ森にそれぞれ建設することを決めて免許申請を行い、はやくも6月には予備免許が交付された。八幡浜局は4チャンネル、出力は映像250ワット・音声62ワット、宇和島局は10チャンネル、出力75ワット・音声18.8ワットである。権現山、泉ケ森とも、山頂まで長い索道を引いて資材をはこぶ取り付け道路が必要だったが、テレビ開局を待ちわびる地元住民の奔走で工事は予定通り進み、NHKと歩調をあわせて八幡浜局は12月1日、宇和島局は12月20日開局した。新居浜、八幡浜、宇和島の3テレビ中継局の完成により、南海放送のサービスエリアは全県的なひろがりを持つことになった。広島、岡山、高松などの放送を視聴していた家庭に新居浜局向けのテレビアンテナを無料で貸与するなどの地味な努力も続けられた。この後もテレビ中継局の建設は進み、海岸部が横に長く山間部が多い電波の谷間を着実に埋めて行った。愛媛県下のラジオ受信契約台数は1959(昭和34)年3月末現在22万2,892台に達したが、これをピークに低下に転じた。4年後の1963(昭和38)年3月末には、半数以下の10万2,252台にまで減少した。これに対して、テレビの受信契約台数は同じ4年間に1万1,350台から15万9,869台へと14倍余りの伸びを示し、ラジオを上回った。南海放送が1960(昭和35)年3月に行ったラジオ聴取率調査ラジオ聴取傾向の変化と対策第3節 試練を越えて宇和島テレビ局舎とアンテナ

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