南海放送50年史
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テレビの高校野球初中継は1961(昭和36)年7月27日、夏の愛媛県大会である。北四国大会への出場をきめる準決勝・川之江対今治南、松山商業対北宇和の2試合であった。松山市営球場のバックネット裏には、南海放送とNHKの2台のカメラが並び、さらにその真うしろのスタンドにNHK、右寄りのはなれた位置に南海放送のカメラが陣取った。一塁側スタンドにも双方の特設台が据えつけられ、暑さよけのすだれを掛けたカメラが内外野への打球を追った。NHK松山放送局は前年の大会から高校野球を中継していた。一方、わが社はこの年もまだ、テレビ中継車やその他の設備を持っていなかったため、ローカルニュースやスタジオ制作の番組では先行しながら、高校野球中継では後れをとった。報道、技術スタッフはNHKの仕事ぶりを横目にみながら残念でならなかった。「中継車がなくてもこの場所を確保できたら中継できる」と言ったのは、技術局管理課長の山内辰夫である。松山市営球場のネット裏スタンドの最上段には貴賓席がもうけられていた。山内はこのスペースの一部を借り、テレビ局舎から番組制作用の調整機材をそっくり持ち込めばよいという。問題は映像をテレビ局舎まで送るFPUとズームレンズであった。それをラジオ高知(現高知放送)の好意で借用できることになって、話は一気に具体化した。FPUとズームレンズは前日まで高校野球高知県大会決勝戦の中継で使用されていた。試合終了後、夜の国道33号線をジープに乗せてはこんだ。初めてのテレビ実況中継は予想以上にスムーズだった。7月31日、8月1日の両日、松山市営球場で開催された高校野球北四国大会も中継を行った。この高校野球中継を機会に中継車への関心が高まり、翌1962(昭和37)年541第2節 テレビ開局炎天下、カメラによしずをかぶせて中継高校野球テレビ中継

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