南海放送50年史
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1959(昭和34)年3月、放送法の一部が改正され、各局に番組審議会の設置が義務付けられた。テレビ受像機の急速な普及の一方で、“低俗”テレビ番組と青少年非行の関連が論議されるようになった。これによってわが社では5月22日に南海放送番組審議会を設置し、7人を委員に委嘱した。星野通(松山商科大学学長)、井門通夫(県自治研究所所長)、村上寿子(松山市婦人協会会長)、重松孝(元愛媛新聞社論説委員)、岡達雄(愛媛広告協会理事長)、そして社内からは松本亨(常務)と光田稔(編成局長)が加わった。5月22日に審議会の運営などを協議し、6月10日には第1回の番組審議会を開き、番組基準を協議決定したあと、ラジオ番組の試聴を行った。番組審議会は、放送番組の内容や表現が社会的良識に照らして妥当なものであるかどうかを審議する。審議会を健全に運営し機能させることで、他からの干渉を受けることなく、自律的に番組を管理することが求められた。発足当時の番組審議会には、社内からも委員が参加していたが、第三者的な批判精神が薄れることがないようにとの考えから、1965(昭和40)年1月から社外委員だけで構成することになった。また1967(昭和42)年からは番組向上のため顕彰制度を設け、毎年優良番組を表彰することになった。1959(昭和34)年12月11日、新居浜テレビ局への予備免許(JOAL-TV、6チャンネル、出力=映像250W、音声=63W)が与えられた。新居浜局の送信所は新居浜市萩生字河之北(海抜195メートルの通称金子山)に建設を予定した。しかし、松山の城山にあるテレビマスターの映像を新居浜まで送らねばならない。電電公社(現NTT)のマイクロ回線を利新居浜テレビ局へ自営マイクロ番組審議会設置39第2節 テレビ開局雪山での電波調査(堂ヶ森)

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