南海放送50年史
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ることをせまるが、娘はなぜかことわり続け、湧が淵に身を投げ白い蛇となって泳ぎ去る。白い蛇を表現するためにネガフィルムのままで使うなど、さまざまな工夫を行った。主演は河野節子、15分の小品であったが、愛媛のテレビ放送史上初めてのテレビドラマとなった。日曜日昼の『今晩のお献立』は、谷村寿子氏ほか料理研究家が持ちまわりで季節の料理をとりあげた。提供はフンドーキン油。鍋の中やお皿の盛り付けをみせるカメラアングルに苦心したが、かぎられた制作費の中で「愛媛の郷土料理」をとりあげた。ところで、これらのテレビ自社制作番組は1961(昭和36)年末、『南海週間テレニュース』を残して打ち切りとなった。ネット番組が充実して、地味なローカル番組がゴールデンアワーに残るのは難しくなったからである。1962(昭和37)年1月1日付けの機構改革、人事異動が行われ、テレビ制作課は報道課に一元化された。一方、NHK松山放送局は1960(昭和35)年4月、テレビスタジオとフィルム現像設備、テレビ中継車を導入してローカル番組の制作体制を強化した。正午と午後7時のニュースにローカルニュース枠をもうけ、『ZK週間TVニュース』、『県民グラフ』などの番組制作を開始した。テレビでも南海放送とNHKがローカル番組で競い合うかたちとなり、わが社の自社制作活動の転換をうながすことになった。報道課は課長の大内信也以下11名。このうち撮影・現像・編集要員として5名が新採用となった。一方、ラジオニュース原稿のリライトと編集は愛媛新聞に受け持ってもらうことになり、テレビ中心の報道体制となった。毎日のローカルニュースは、昼の『日本テレニュース』、夕方の『ニュースフラッシュ』のネットワークニュースの後半を1~2分、差し替えるかたちで放送した。普通はタイトル10初期のテレビニュース活動35第2節 テレビ開局『クローズアップ』100回記念「妖談・湧が淵」『今晩のお献立』放送風景

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