南海放送50年史
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テレビ技術部は山内辰夫調整課長以下2名、大西越丙送信課長以下10名。ネット番組やテレビ映画の送り出しのほか、ローカル番組の放送時にはカメラ、スイッチャー、映像調整、音声、番組タイトル・スーパーなど技術面の仕事を受け持った。自社番組はすべて生放送である。テレビマスターとテレビサブが一列の卓に並んでいるので、ローカル番組の放送時にはネット番組の音声モニターを下げてもらわねばならなかった。城山局舎にはほかにテレビ編成課長菅野博幸以下7名が勤務し、番組編成、運行業務を行った。自社制作番組3本のうち『クローズアップ』、『郷土の窓』はいずれも15分番組ながら、21時45分からという放送時間に恵まれたため視聴者が多かった。『クローズアップ』はタイガー劇場の提供である。時の人、話題の人をスタジオに招いた。野球拳の創案者で知られる川柳作家・前田伍健の「川柳世相虫めがね」、タイガー劇場館主の坪内寿夫も奥道後観光開発についての抱負を語った。1年あまりのち、視聴者参加でスプーンはこび競争などをする娯楽色の強い『おたのしみホール』となったが、1960(昭和35)年2月、郷土人物史シリーズで復活した。「井上正夫の人と生涯」、「望郷の詩人・大和田建樹」、「山路越えて・西村清雄」、「国破れて・桜井忠温」などの意欲作が注目された。『郷土の窓』は郷土の文化芸能を紹介した。秋田商店の提供である。愛媛大学教育学部教授神野寛「愛媛現代舞踊」、南条舞踊研究所「バレエとともに」、三津さくら会「愛媛の民謡」など。愛媛大学に赴任したばかりの佐藤陽三氏(前全国合唱連盟会長、愛媛県文化振興財団理事長)もシューベルトの「冬の旅」などを歌った。東雲学園の中学生だった日野てる子がハワイアンソングを歌い、愛くるしい容貌とともに、のびやかな歌声ですぐれた資質が注目された。この番組は1960(昭和35)年11月4日、放送100回を記念してテレビドラマ「妖談・湧が淵」(作・武智成彬、演出・東川稔)を放送した。物語は村の若者が美しい娘に恋して嫁にな34第1章 草創期の南海放送テレビ放送風景『クローズアップ』山路越えて・西村清雄『クローズアップ』の台本

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