南海放送50年史
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人気番組には日本テレビをキー・ステーションとする『ダイヤル110番』、『光子の窓』、『プロ野球中継』、『プロレス中継』、『新吾十番勝負』、『夫婦百景』、『名犬リンチンチン』など。TBSの番組も『あんみつ姫』、『名犬ラッシー』などのネットをうけ、多彩なプログラムが編成された。1958(昭和33)年3月の愛媛県下におけるNHKのテレビ受信契約は、まだ3,687件に過ぎなかったが、南海放送テレビの開局で1959(昭和34)年3月末には受信契約件数が11,350件に達した。この年には全国のテレビ受信契約件数は200万台を突破し、総広告費は1,456億円(前年比136.7%)、テレビ広告費は地方局の開局が相次いだこともあり、前年の2.25倍にあたる238億円にも伸びた。1958年から1962年にかけて、「岩戸景気」とよばれる好況期が始まった。それは42か月にも及ぶ長期の景気上昇期を持つ大型景気であった。「経済成長」という言葉が定着した。テレビの受信契約世帯数は1960年には全国で500万台、1961年には900万台、1962年には1,300万台を突破する急激な普及をみせた。この時期、わが社の営業収益も2桁の伸びを示しており、きわめて恵まれた経営環境の中でラジオ・テレビ兼営社として順調なスタートを切った。城山にあるテレビ局舎の小さなスタジオでは、1週間に3本のローカル番組が制作された。『クローズアップ』(木曜日・21時45分~22時)、『郷土の窓』(土曜日21時45分~22時)、『今晩のお献立』(日曜日12時45分~13時)である。テレビ制作課は課長の細田新以下6名。このうち仙波哲など美術要員3名がテロップカードに番組やローカルニュースの字幕、お知らせ、CMなどを面相筆で手書きする。スタジオのセット制作もある。南海放送劇団で音響効果を担当していた久米肇が照明マンとして起用された。独壇場のローカル番組33第2節 テレビ開局

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