土に文化の花を咲かせ、人々の教養、娯楽の種となって、こよなく愛され、親しまれてゆきたいと願っています」と述べた。この後、山中社長と久松知事は式典を中座して、城山のテレビ局舎に向かった。午前11時、ブラウン管にテスト・パターンが映し出された。わが国民放13番目のテレビ、10チャンネル、JOAF-TVの誕生である。11時30分からオープニングのフィルムが流れ、山中社長が生放送で開局の挨拶を行った。この後、山中社長と久松定武知事が開局を記念して対談した。久松知事はこの中で「南海テレビの発足で中央と地方の文化の距離が一瞬にして縮まる。電波科学の発達のおかげですね。しかし、地方文化とJOAF-TVとの結びつき。これを忘れないでください」と話している。続いてフィルム構成『南海放送テレビ誕生』、ふたたびスタジオから神崎秀園(のちの扇崎秀薗)師の地唄舞「しずのおだまき」を放送した。正午からのネット番組『日本テレニュース』に引きつぐまでの30分間の放送であったが、熱気と緊張でスタッフの額に汗がにじんだ。南海放送テレビの最初の番組制作を演出したのはテレビ制作課長の細田新、2台のスタジオカメラを操作したのは、技術部調整課長の山内辰夫、同送信課長の大西越丙である。二人とも技術部門の責任者として開局準備に追われていたため、カメラ割り(画面構成)などぶっつけ本番となったが、放送は無事に終了した。お昼のレギュラー番組が終わった午後1時15分、ふたたび南海放送開局記念特別番組、『プロレスリング・力道山対ジョナサン』に移った。放送が始まってまもなく、「市駅前はおおごとよ」と連絡が入ってきた。この時期、テレビは14インチ標準型で6万円程度になってはいたが、NHKのテレビ受信契約はようやく100万件に到達したばかりで、一般家庭にはまだ高嶺の花だった。大学卒業者の初任給が1万3千円、大工さんの日当が900円という31第2節 テレビ開局開局を告げる電車の広告テスト・パターンプロレスの力道山(写真提供:日本テレビ)
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