紙顧問、同和火災海上保険監査役であった神崎丈二氏らの尽力により計画通り進んだ。これによって、わが社の授権資本は2億5,000万円、払込資本金は1億8,000万円(36万株)となった。これでテレビ開局の体制が整った。1958(昭和33)年12月1日、ラジオ開局から5年目、松山テレビ局が開局のはこびとなった。全国13番目の民放テレビ局である。局舎建設にあたって、スタジオを持つかどうかが検討された。NHK松山は前年(1957年)5月29日にテレビ放送を開始したが、ローカル放送は、テロップ写真と文字にアナウンスメントをかぶせる程度であった。初期投資は大きい課題である。15分番組を週に2~3本制作するローカルテレビ局はまだなかった。しかし、地域に根ざした番組を放送することは、ラジオの場合と同様に経営の理念であった。自社制作番組に加えて、ローカルニュースを放送することが決定された。自主的な番組編成などのために、テレシネ設備の充実も必要になった。松山の城山、長者ヶ平に建つテレビ塔からやや下ったロープウェイ沿いの斜面にスタジオ機能を併せ持つテレビ局舎の建設を決定し、文部省に申請、許可された。建物面積は約260平方メートル。1階は、玄関を入ると右側にテレビ制作課、技術控え室などがあり、左側はテレビ編成室、マイクロ受信室などになっている。通路突き当たりの奥は中2階吹き抜けの部屋になっており、テレビ送信機が置かれていた。階段を上がって中2階が82平方メートルのテレビスタジオになっている。2階は主調整室で、テレシネ室、29第2節 テレビ開局開局当時のテレビカメラ予備免許1.工事の落成期限昭和33年11月30日2.電波の形式および周波数映像 A5 205.24MC音声F3 209.74MC 3.呼び出し符号および呼び出し名称JOAF-TV4.空中線電力映像出力5kW(実効輻射電力23kW)音声出力2.5kW(実効輻射電力12kW)5.運用許容時間常時長者ヶ平のテレビ局舎
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