南海放送50年史
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なければならない。自前の営業活動にも限界がある。ネット番組による広告料金の配分は経営に大きく影響する。キー局の選択は、南海放送の経営の根幹にかかわる重要な事項であった。一方、キー局にとっても、ネット局数は獲得した広告マーケットの大きさを示すものとなり、広告メディアとしての媒体力につながる。ネット局数の差は、情報媒体としてのニュース報道における規模の違いともなった。この時点でのテレビネットワークは、1953(昭和28)年8月に開局した日本テレビ放送網と1955(昭和30)年4月に開局したラジオ東京テレビ(以下TBS)の二つであった。郵政省は1957(昭和32)年秋、テレビ予備免許が与えられた民放地方局に対してフリーネットを原則とする付帯条件をつけていたが、日本テレビ、TBSは地方局に対して積極的に系列参加を働きかけた。その結果、日本テレビは12局、TBSは19局を傘下に収めることになった。わが社が日本テレビをキー局に選んだ理由については記録が残されていない。山中義貞社長が日本テレビの正力松太郎27第2節 テレビ開局城山長者ヶ平に建設されたテレビ塔松山城長者ヶ平のテレビ塔遠望

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