第1章 草創期の南海放送1952(昭和27)年7月31日、わが国で最初のテレビ局予備免許が日本テレビ放送網に与えられた。テレビの標準方式をめぐり周波数帯域幅を6メガとする日本テレビと7メガの利点を説くNHKが対立していたが、電波監理委員会は日本テレビの主張を認めた。同時にNHKと民放の併存を原則とするというテレビ免許の方針を発表した。予備免許で先を越されたNHKは大車輪で開局準備を進め、翌年の1953(昭和28)年2月1日、NHK東京テレビジョン放送を開始する。同年8月28日、日本テレビ放送網が開局、テレビ時代が幕開けした。1955(昭和30)年に入ると、民放地方局にもテレビ兼営の動きが活発となった。NHKと民放の併存を原則とするという免許方針が認知され、ラジオ経営の基盤が予想外に早く固まりつつあったこともあと押しした。わが社は同年11月23日付でテレビ局の免許を申請した。新居浜、宇和島両ラジオ局の開局準備のさなかでラジオ・テレビ兼営計画、マイクロ回線の確保などにもはっきりした見通しがあるわけではなかったが、この時期ひとつの決断を迫られる問題が持ち上がっていた。1957(昭和32)年5月にテレビ放送開始の準備を進めていたNHK松山放送局から、城山にテレビ塔を共同で建設したいテレビ塔をNHKと共同建設テレビ経営への動き第2節テレビ開局22テレビ免許申請書
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