ラジオ南海設立の趣旨もまた、民主主義の発展、地方文化の創造・向上など“ピープルズ・ラジオ”として、地域社会に寄与することにあった。このため、開局早々からニュース報道と自社制作番組には大車輪で力を入れることになった。本社の組織機構は総務局、編成局、技術局の3局制である。編成局は編成、編成庶務、レコード室、報道第一、報道第二、制作、アナウンスの7つの課が置かれた。編成局長には愛媛新聞社から転じた光田稔が就任した。光田は青年期に劇作家を志して上京、戯曲「杉江一家の人々」で注目された。のち満州映画協会に職を得たこともある。終戦後は地域劇団「あおい座」を主宰、同人雑誌『文脈』に私小説風の作品を発表していた。愛媛新聞社を退職して放送に新天地を求めた編成局の幹部社員のうち、編成庶務課には吉田秀泰、報道第一課に藤堂治彦、報道第二課には楠一夫がいた。報道番組を制作する報道第一課は、課長の藤堂ら4名である。取材用の機材は手回しのゼンマイモーターで動く肩掛け式録音機(デンスケ)が2台。モニター用に営業と共用するKP-2テープレコーダーがあったが、夜10時台に『録音レポート』、『今週のフラッシュ』、『マイクかついで』など15分の報道番組6本を組んだため、機材のやりくりにてんてこまいのありさまだった。第1次産業が主産業の時代で、ほかに『農漁村の皆さんへ』、著名人にインタビューする『朝の茶話』が企画された。ついには手がまわらなくなって、報道第二課員が応援にでるようになった。夜の時評番組『世相グリンプス』やその他、政治番組は編成庶務課長の吉田秀泰が報道第一課兼任で担当した。この年の秋、県政界は社会党を支持基盤とする副知事の追い出しをはかり、副知事廃止条例を県議会が議決したことから大揺れになった。吉田は開局の翌日、さっそく特集番組でこの問題をとりあげた。日曜日の『県政討論会』(45分番組)は保革両陣営の激突の場となり、第1回の放送から注目された。14第1章 草創期の南海放送今治市小島で取材携帯用録音機(デンスケ)
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