南海放送50年史
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販売を利用する方法で入手できやすくなり、ラジオ受信機の普及は急速に伸びていた。同日の愛媛新聞紙面にはラジオ南海の開局とその前夜祭のにぎわいが詳しく伝えられている。“地域に根ざす身近な県民のラジオ”の誕生は愛媛県民から祝福と期待をもって迎えられた。番組編成作業は10月1日の開局が迫っても固まらなかった。ラジオ東京(現東京放送)と、日本文化放送協会(現文化放送)によるローカル局への番組供給体制はようやくスタートしたばかりであった。東京支社(東京都中央区木挽町5-1明礼ビル、2か月後の12月には中央区銀座西7-5 弥生館)、大阪支社(大阪市西区京町堀上通 弥生ビル)の両支社は活動を開始したが、広告主が付いた番組の導入は進まなかった。松下電器『歌のない歌謡曲』、大正製薬『名作アルバム』、資生堂『花椿アワー』などの魅力的な番組は確定したが、ぜひとも欲しい番組は短期間、サービスCMとしたこともあった。放送は午前5時45分の『愛媛新聞ニュース』に始まり、午後10時45分の『お休み番組』で11時に終了する。途中、午後3時25分から30分間の放送休止時間を入れて、16時間45分の放送とした。このうち12時間余りは自社制作番組で埋めなければならなかった。本社営業課員5名は、刷り上がったばかりの料金表を片手に地元の広告主をまわった。社に1台しかない東京通信工業製の重いKP-2テープレコーダーを持ち有力商店を訪問、「ラジオ広告とはこういうものです」と、CMを試聴してもらったりした。電波料はAタイム30分番組の提供料金3万5,000円、同15分番組2万3,000円、30秒スポット・コマーシャル4,000円の懸命の編成、営業活動12第1章 草創期の南海放送南海放送パンフレット表紙スタジオ主調整室

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