南海放送50年史
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3.5放送会館 道後樋又の工事現場で地鎮祭4.1宇和島に報道駐在9.11呼出名称を「南海放送」に指定変更申請10.4松山テレビ局城山送信所の無人化工事 着工10.25新放送会館 定礎式12.4大洲テレビ局に予備免許12.31『ゆく年くる年』道後石手の高橋刀匠宅からテレビ全国中継1.1『ゆく年くる年』、高橋刀匠宅よりテレビ全国中継1.1呼出名称、ラジオ南海から、「南海放送」に変更2.18放送会館への移転始まる。放送機器の据え付け開始2.26ラジオ 道後樋又の新放送会館から放送開始2.28VTR(NEC-2インチ)スタジオ録画で使用開始2.29南海放送、新放送会館 竣工・落成~テレビも放送会館から放送開始3.1共同通信 ラ・テ・ファックス 報道部内に設置3.6業務を新社屋(南海放送会館)に移転3.12南海放送会館落成・創立10周年記念祝賀パーティ~午後6時、『倍賞千恵子とボニージャックス・ショー』をラジオで放送3.12新社旗、社章ならびに「南海放送の歌」制定4.1『ニュース・ハイライト』にネット参加4.116ミリ自動現像機購入4.10ウィーン少年合唱団 初の松山公演(県民館)6.7松山市内で暴力団抗争事件9.28東京オリンピックのカラー中継を前に、日本テレビより試験的に『ロンパールーム』のカラー映像 ラインで送られ受信成功10.1ネット番組のカラー放送開始10.1東京支社-共同通信間の専用線 運用開始10.1大洲テレビ局開局10.10東京オリンピック 中継、カラーで放送10.15TBSラジオラインネット 加盟決定12.6テレビ自社制作番組『なんかいサロン』放送開始7.17NHK・民放合同のオリンピック委員会を組織8.1総理府に「マスコミと青少年に関する懇談会」設置10.24自治省 候補者のテレビ経歴放送を認める11.23初の日米間テレビ衛星中継ケネディ事件を受信11.23リレー衛星による日米テレビ中継の実験成功11.29ヨーロッパからのテレビ衛星中継実験に成功2.5東京オリンピック、テレビ取材NHK、民放各社は自由選択3.25日米間宇宙中継成功(日本から米国へ)4.1NET『木島則夫モーニングショー』開始4.17対欧テレビ中継 実験成功5.27リレー2号衛星でカラー送受信実験成功6.15民放研「ラジオ白書」刊行7.1アジア放送連合(ABU)発足8.19(米)シンコム衛星打上げ東京オリンピック中継可能に8.20インテルサット 11か国加盟で誕生12.-年間総広告費 3,491億円(テレビ1,081億円 ラジオ170億円)(電通調べ)7.10東亜航空の広島-松山-高知線開通8.1松山港 特定港に指定8.15今治・大島間フェリーボート就航9.1松山-大阪航空路 ジェット化9.29伊予三島・川之江両市の電話自動化10.5迷惑防止条例成立(11.10実施)11.22ケネディ大統領暗殺される1.30東予新産業都市 正式に指定2.11足摺国定公園に宇和海、滑床など編入3.20総理府「青年白書」でマスコミの問題点指摘3.24ライシャワー米大使 少年に刺される5.16ニッポンカワウソ 県獣指定6.7松山市で暴力団白昼乱射事件6.16新潟大地震(M7.5死者26全壊1,960)7.31(米)月ロケット雲の海に命中、月面撮影成功10.1東海道新幹線 営業運転開始10.10東京オリンピック開幕(~24)10.16中国 初の原爆実験成功11.9佐藤内閣成立 行管庁長官に増原恵吉氏11.17創価学会 政治団体として公明党結成11.28県教委 学力テスト・小6年算数で愛媛県は日本一南  海  放  送放 送 業 界愛媛県及び国内外320資 料 編1964(昭和39年)306資 料 編

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