1.6南海放送創立事務所、愛媛新聞社内に開設1.28松山ラジオ放送局の開設申請2.25第1回発起人会、事業規模、資本、定款などを決議2.28出力3kWのラジオ放送局開設の免許申請3.27株式募集開始7.10ラジオ局開設申請、一部訂正願(出力3kWから1kWに)7.12アナウンサー採用試験8.1松山ラジオ放送局に予備免許(JOAF、1120kc)8.15アナウンサー7名、文化放送に依託実習8.28東芝小向工場で放送機器の立会検査9.15ラジオ送信所アンテナ(余土村)完成9.24試験電波発射9.28創立総会、役員選任(会長武智鼎・社長平田陽一郎)9.29会社設立登記9.30開局式、来賓100名参加(本社事務所)夜6時から開局前夜祭(有楽座)を中継放送10.1ラジオ南海開局 午前5時45分本放送(JOAF、1120kc出力昼間1kW・夜間500W)、このときのラジオ普及率は51.7%10.22第8回国民体育大会実況中継ラジオ東京、中部日本放送、朝日放送、ラジオ九州、北海道放送に中継(民放初の国体共同制作)12.1在ソ邦人第1次引揚げ(舞鶴港)取材12.28第1回定時株主総会1,500万円の増資新株公募を決定1.18宇和島ラジオ局 開設免許申請2.12増資新株発行変更登記(総株10万株、払込資本金5,000万円)2.19新居浜ラジオ局 開設免許申請4.1南海放送・中国放送・大分放送『内海連絡船』共同制作4.7南海放送、ラジオで初の高校野球実況中継(春の愛媛県大会)1.11NHK東京-大阪-名古屋間マイクロ下り中継線開通2.1NHK東京テレビ局 本放送開始(視聴料200円)4.21第1回民放週間(~27)5.1郵政省『標準放送用周波数割当再編成の方針』発表6.26西日本大水害に民放各社が報道と救援に活躍7.12民放労連結成7.14連盟放送基準審議会発足8.28日本テレビ放送網(NTV)開局、民放初のテレビ放送9.1ラジオ高知開局10.1山陽放送、ラジオ四国、ラジオ熊本、ラジオ大分、南海放送-民放5局開局10.1四国放送連盟発足10.25民放初多元中継『北から南から』放送開始11.16日本文化放送初めてニュースにスポンサーをつける。1.22日本放送 ニッポン放送と社名変更4.15電電公社初のマイクロ波回線(東京-名古屋-大阪間)業務開始6.1第1回電波の日7.11日本文化放送 深夜放送開始7.21NTV 電車の車中テレビの実験に成功1.20アイゼンハワー 米大統領に就任3.5(ソ)スターリン首相 死去 3.14衆院解散(バカヤロー解散)5.14松山市堀之内旧兵舎 取壊し開始5.22中島沖で伊号33潜水艦引揚げ(6.22浮揚)7.16伊東絹子 ミスユニバース3位7.27朝鮮戦争休戦協定調印8.21全国高校野球で松山商業高校優勝9.12(ソ)共産党第一書記にフルシチョフ 就任9.30県立道後動物園開園10.16体育館(後・県民館)完工10.22第8回秋季国体 松山を主会場に四国路で開催 1万9,000人、28種目(~5日間)12.1在ソ邦人第1次引揚げ、興安丸 舞鶴港入港12.25奄美群島 日本に復帰1.2皇居一般参賀で二重橋大混乱 死者16人、けが69人2.1興居島村 松山市に合併3.1第5福竜丸 ビキニの米水爆実験で被災4.21犬養法相 造船疑獄で指揮権発動7.1防衛庁と自衛隊発足7.20インドシナ休戦協定調印南 海 放 送放 送 業 界愛媛県及び国内外314資 料 編1954(昭和29年)1953(昭和28年)300資 料 編
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