南海放送50年史
30/358

た。ディック・ミネ、松島詩子、赤坂小梅らの歌、三遊亭円歌の落語、漫才、ものまね、バラエティショーに超満員の会場が沸いた。プログラムは国体が終わるまで応援にきてくれた京都放送の糸居五郎アナウンサーの総合司会でスムーズに進行した。華やかな前夜祭は成功裡に終了し、開局へ大きなはずみをつけた。10月1日、南海放送開局の朝がきた。本放送の最初の番組は午前5時45分からの『愛媛新聞ニュース』である。主調整室では技術部員のほかに、役員も本放送の開始を見守っていた。「JOAF、こちらはラジオ南海です。四国松山から1120キロサイクルでお送りしております。ただいまから、本放送を開始いたします」。第3スタジオに入った糸居アナウンサーの声が流れた。創設の機運がおきて1年、具体的に行動を開始してから、わずか9か月で、南海放送はわが国21番目の民放ラジオ局として誕生した。あわただしく、苦労の多い道のりであった。商業放送の前途に不安はあったが、社員は若く、活気に満ちていた。同じ日に、青森放送、山陽放送、ラジオ四国(現西日本放送)、ラジオ熊本(現熊本放送)、ラジオ大分(現大分放送)が開局した。秋の街に、国体賛歌「美わしの山河」のメロディが流れてい初陣は国体報道9第1節「ラジオ南海」の誕生松山市松前町の本社社屋(ガラス張りの建物がモダンだった)

元のページ  ../index.html#30

このブックを見る