南海放送50年史
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秋山好古・真之兄弟ほか『坂の上の雲』の主人公たちの志を伝える「坂の上の雲フィールドミュージアム構想」を掲げていたが、その構想を市民に伝えるイベントとして南海放送ラジオの「ふるさとウォーク」に着目した。当日は、秋山好古が初代校長を務めた私立北豫中学(現松山北高)を起点とした。ロシア人墓地、秋山好古・秋山真之兄弟の生家・漱石子規が過ごした愚陀仏庵などを巡り、城山山頂の天守閣広場をゴールとする全長6.5キロを、加戸愛媛県知事、中村松山市長など約1,200人が歩いた。この「坂の上の雲を歩こう」イベントは、2回目が2001(平成13)年10月28日に松山の中心部を巡るコースで、3回目は2002年10月20日に道後湯築城を中心としたコース、4回目は2003年10月11日に松山市三津地区を中心にしたコースで開催され、市民行事のひとつとして定着するまでになった。1989(平成元)年、今治市在住の血友病患者で、非加熱血液製剤でエイズに感染した赤瀬範保氏が、第1次薬害エイズ訴訟で名前を公表し、患者、感染者の人権及び補償に対する闘争宣言した。赤瀬氏は1991(平成3)年に死亡したが遺志をついで、愛媛に患者、感染者の人権を守る民間ボランティア団体が発足した。南海放送はそのボランティア団体の協力要請を受けて、1992(平成4)年からラジオの自社制作番組内でエイズ予防と患者、感染者の人権を守るキャンペーンを展開した。当時はエイズに対する偏見が強く、一般リスナーの協力が得られない状況が数年続いたが、国が薬害によるエイズ被害の裁判で敗訴した時点から県市町村の対応が前向きになり、ラジオ番組への啓発予算が出るようになった。こうした状況の中で1997(平成9)年11月1日、全国民放に先駆けて「エイズ提言スポットキャンペーン」がスタートした。エイズキャンペーン258第6章 経営改革の時代中村松山市長も参加エイズ提言キャンペーン街頭活動

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