免許申請書を提出したあと、全権を委任され免許取得にあたったのは愛媛新聞東京支社長山浦利喜衛であった。山浦は愛媛出身の郵政省幹部にアドバイスを求めるなど、早期免許に奔走した。その山浦から平田に対して、希望する空中線電力を3キロワットから1キロワットに訂正するほうが、免許を確実に得られるとの情報がもたらされた。3キロワットの出力は基幹都市並のサービスエリアと経営規模を必要とするという理由である。事業計画書では3キロワットを前提に作成されていたが、免許取得が先決である。希望する空中線電力を1キロワットとし、それにともなう設備や事業計画、演奏所、送信所の位置変更をあわせて7月10日、申請書の訂正願いを提出した。待望の予備免許は、8月1日付けで交付された。その指定事項は次のとおりである。待望の予備免許6第1章 草創期の南海放送本社社屋平面図
元のページ ../index.html#27