目星をつけたのが、重信川と石手川の合流点に近い余土村大字市坪下1565番地である。住宅数も少なかった。アース線の埋設は森村長の斡旋で6月4日、土地所有者の農家と約3ヘクタールの農地について補償契約を交わすことができた。この翌日には本社社屋の建設用地についての売買契約が成立し、松山石油の敷地のうち、384平方メートルを取得した。愛媛新聞社の東側、道一つをへだてたこの場所、松山市松前町30番地が南海放送創業の地となった。土地の売買契約から1日おいた6月7日、本社社屋の地鎮祭と起工式を行い、別子建設の手で着工された。敷地いっぱいに設計された建物は鉄筋2階建、延べ面積は730平方メートル余りである。正面が全面ガラス張りの社屋はモダンな印象であった。1階はロビー、事務室、役員室、会議室。2階は主調整室と副調整室に3つのスタジオ、録音編集室。ほかに技術員室もあったが、これはいかにも狭かった。一方、送信所の建設は急を要するアース線の埋設からはじまった。「6月23日までにすべての工事を完成しなければ、食糧増産に影響するところ甚大のため、契約を解消する」との覚書にせきたてられての工事であった。延べ1,000人もの作業員が動員され、地下60センチの深さにアース線を埋め込んだ。引き続き局舎とアンテナの建設が始まった。5第1節「ラジオ南海」の誕生余土村(現松山市)の送信所
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