南海放送50年史
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3月29日午後1時30分から南海放送コアスタジオにおいて田中、中村両氏による白熱した討論を収録、テレビは4月4日午前1時25分から、ラジオも同日午前0時30分から放送された。選挙の結果は1万9,773票差で中村氏が当選、39歳の若さで松山市長に就任した。知事、県都の市長選において、ともに現職が敗れた背景には地域経済の停滞、産業構造の空洞化、少子高齢化などによる閉塞感があった。有権者は世代交代の新しい風を求めたのである。1996(平成8)年末、南海放送は経営体制を刷新した。12月20日開かれた第66期定時株主総会終了後の取締役会で門田圭三会長が取締役相談役に、大西越丙社長が代表取締役会長に就任し、土居俊夫専務取締役が南海放送第6代代表取締役社長に選任された。昭和生まれの65歳である。また、松友勝俊常務取締役が専務取締役、山本敬喜取締役が常務取締役にそれぞれ昇格、新しい経営体制となった。土居社長は大西会長に続き創業時の第1期生社員からの登用である。新聞原稿を放送用にリライトする報道2課の仕事をふりだしに、報道・番組制作、文化事業・販売促進、取締役東京支社長、常務取締役報道制作本部長などを歴任した。かけだし時代の1956(昭和31)年12月、ソビエトからの帰還船興安丸を舞鶴港に迎えた時の思い出が、今も鮮烈に記憶に残っているという。就任後初の新年祝賀式で、「放送業界はいま、民放多局化に加えて通信と放送が融合するマルチメディア時代が現実のものとなっている。この放送新時代に南海放送が生き残るためには、放送設備の更新、業務の効率化による経営体質の改善を積極的に進め、夢をもって地域の視聴者に信頼される放送活動を展開する」と決意を表明した。土居俊夫 社長就任230第6章 経営改革の時代第6代社長 土居 俊夫

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