南海放送50年史
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9.7%も低い61.65%にとどまったが、自民党が239議席を獲得し、橋本政権の続投となった。報道制作本部は全社の協力のもとに新制度による総選挙に取り組んだ。難題は四国ブロックにおける立候補者の当確判定である。複雑な重複立候補、惜敗率を織り込む当確予測・判定は、出口調査だけでは読み切れなかった。特に90年代に入ると、無党派層あるいは浮動票とよばれる有権者の動きが当落に大きく影響した。報道制作本部では曽我局次長を中心に、選挙の1年前から放送実施部、コンピュータ部の中堅、若手社員を集め、NNNへの集票連絡=鴨頭宏臣、CG処理=三好真一、脇本周一などが1年がかりでアイディアを練った。総選挙開票速報のディレクターには、近藤正純が起用された。NNN四国4局をパソコンで結んだ南海放送独自の集計システムは、放送実施部の伊達部長が担当した。他局のコンピュータにトラブルが発生したため比例区の集計にやや遅れがでたが、放送はおおむね順調にはこび、新制度下の選挙報道を無難に乗り切った。自民党の勝利に終わった総選挙の後遺症は、しかし、1999(平成11)年1月3日投票の愛媛県知事選挙で浮上した。4選をめざす現職知事の伊賀貞雪氏に元文部省大臣官房長、日本音楽著作権協会理事長の加戸守行氏が立候補を表明、両氏への支持をめぐって自民党愛媛県連が大揺れとなった。保守陣営分裂の原因は伊賀知事の行政優位、新制度下の総選挙に際して自民党候補に一歩引いた姿勢をとった知事に対して保守陣営内部に批判が生まれたことにあった。自民党愛媛県連常任総務会は新人加戸氏の推薦を強行採決、幹事長名で党本部に推薦を要請した。一方、立候補表明が立ち遅れたかたちの現職支持派は、臨時県連大会の開催を要求して巻き返しをはかり、正月休みを投票日とするなど異例の作戦をとった。228第6章 経営改革の時代愛媛県知事選挙 加戸守行候補

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