南海放送50年史
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第6章 経営改革の時代第65期(1995年10月~1996年9月)は景気の回復基調からテレビスポット広告が好調で、民放4局競合2年目のテレビ営業収入は63億9,948万円(前期比102.5%)を挙げた。ラジオも11億6,857万円(同103.4%)を記録、文化事業をあわせた営業収入は87億6,804万円となり、経常利益は4億7,522万円(同139.8%)を計上した。村山内閣の「当面の経済対策」による景気浮揚策が短期的な効果をあらわしたものであったが、社内にもわずかながら明るい気分が漂った。1996(平成8)年、夏の全国高校野球選手権大会優勝戦では、松山商業高校が右翼手矢野勝嗣選手の奇跡のバックホームで危機をきりぬけ、延長戦の末、熊本工業高校を6-3で破り5度目の全国制覇を成し遂げた。また、NTV系列の全国高校生クイズ選手権では西条高校がグランプリを獲得する快挙もあった。10月1日、創立43周年記念式典において大西社長は第66期の重点課題として営業目標88億200万円を掲げるとともに、「改革と飛躍」を挙げ、社内LANの拡充、報道部門のOA化など情報システムを充実し、業務の効率化を積極的に推進する決意を表明した。この時期、民放地方局には気がかりな問題が表面化していた。衛星放送BS-4後継機をめぐる動きである。大西社長は誰に免許が与えられるのか、ア「常在戦場」の心構え第1節地方局、冬の時代へ226創立43周年記念式典

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