報道デスクの兵頭英夫は県警察本部と県災害対策本部へ記者を出動させるとともに、カメラクルーに災害現場の映像取材を命じた。市町村の災害対策本部や消防局、JR松山駅、県警察本部の当直などと連絡を取ろうとしたが電話が通じない。携帯電話もつながらなかった。ラジオは安全の呼びかけを続けるとともに、松山市内を走っていたキャピイカーが被害状況を伝えた。さらに携帯無線を肩にした畑嶋恵理奈アナが自転車で飛び出し、道後温泉のホテル街から被害状況をリポートし、緊迫した人たちの声を伝えた。立体的な放送活動は災害発生時のラジオの特性を際立たせた。電話の不通は徐々に回復し、テレビでは午後4時15分から定時番組にカットイン、6分16秒間地震関連ニュースを放送した。午後5時からの自社制作番組『見たまんまテレビ』も内容を変更して、公共交通機関の運休、松山自動車道・しまなみ海道の全線通行止め、松山空港の閉鎖などを伝えた。他に伊方原発の安全情報、道後旅館のホテル寿苑、今治のマンション美須賀の崩落など被害状況についても知らせた。ラジオ・テレビの報道とともに、メールによる災害情報が加わった。メディア開発部の清水啓介部長らはClub-Nのニュース配信を地震発生の4分後に始めた。インターネットのホームページ上に建物被害の映像を静止画で配信するなど細かな対応により、当日のアクセスは936件を数えた。なお、わが社の放送への影響は城山の松山テレビ局の送信機が現用機から予備機に自動的に切り替わったことによる4秒間の停波が発生したのみで、他の中継局に被害は見られなかった。本社放送会館は3階、4階の窓ガラスが数枚破損す222第5章 民放4局化時代被害を受けた商店崩落したマンション(今治)
元のページ ../index.html#243