南海放送50年史
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えひめ丸の衝突沈没事故は世界的な大ニュースとなった。隠密行動で知られる原潜が、航行船舶の多いハワイ近海で急速浮上し、衝突事故を起こしたことに大きな衝撃が走った。のちに、衝突の原因となった米原潜の急速浮上は体験搭乗していた民間人へのデモンストレーションのために行われたことがわかった。宇和島水産高校には取材班4クルー、SNG中継車、ラジオ・キャピイカーが出動、本社では愛媛県庁に設置された「宇和島水産高校実習船沈没事故対策本部」にテレビ中継スタッフをはりつける一方、南太平洋の軍事情報に詳しい東京国際大学の前田哲男教授を招き情報分析にあたった。遊軍取材班も3クルーに加え、広島テレビからENGクルーの応援を得るなど大がかりな取材体制となった。その後、現地には三瀬雄一記者、岡田和久カメラマンらを交代要員として派遣、延べ85日に及ぶ長期取材となった。小倉記者らが苦しんだのは、救助された実習生、乗組員、行方不明となった実習生、教員の家族に対する直接取材が厳しく制限されたことであった。事故原因についても多くの疑問が残されたが、軍事機密の厚い壁にさえぎられた。米原潜グリーンビルのスコット・ワドル艦長は事故の翌日更迭された。彼は米海軍の査問会議で原潜運航のミスを一部認めたが、ファーゴ太平洋艦隊司令官はワドル元艦長の軍法会議への送致見送りを通告、刑事責任は不問とされ、行政処分による減給2分の1、戒告処分のみとなった。えひめ丸衝突沈没事故が与えた衝撃はあまりにも深刻であった。九死に一生を得た実習生は全員、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれる心の傷を負っていた。深さ600メートルの海底に沈んだえひめ丸船体の引き揚げは困難とされたが、行方不明者の家族の強い要望で米海軍は重さ700トンを超える船体引き揚げの難作業を行った。10月12日、船体吊り上げに成功、浅瀬に曳航して遺体の捜220第5章 民放4局化時代ハワイ・オアフ島の慰霊碑

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