南海放送50年史
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換された。また、同月17日午前8時30分、松山市南部に震度7の地震発生を想定しての全社的な非常災害訓練が行われた。激震により社屋、放送設備に大きなダメージが発生、技術要員はただちに放送設備修復作業に着手。「緊急第1次出勤班」に指名された数人は、愛媛県の「行政防災無線」に連絡し、災害情報の入手ルートを確保する。報道デスクはヘリコプター、SNG中継車の出動手配などを実戦さながらに次々とこなした。3月20日朝、通勤客で混雑する東京地下鉄の電車内で猛毒ガスのサリンによる無差別殺人を狙った大事件が発生した。社会主義体制の崩壊、湾岸戦争の勃発、バブル経済の崩壊など、社会に不安な気分が広がっていた。わが社は組織改革とも連動して「緊急事態対策要綱」をすでに10度、改定してきたが、阪神・淡路大震災など大災害の発生などには対応できないものとなった。新「緊急事態対策要綱」は、数度にわたる検討会の意見をまとめて、7月1日に制定された。新要綱は「非常緊急事態の三大職務」として、① 安全・出社(交通手段、通勤手段の確保)② 連絡・報告(部内・関係セクションへの連絡、報告)③ 情報収集(安全確認、災害情報、被害拡大の防止)が強調されている。緊急事態発生時には、従業員は安全な交通手段を確保しつつ早期に出勤し、ラジオ・テレビの放送を維持する。「地域A級」の事態が発生した場合には、社長を本部長とする緊急事態対策本部を設置し、従業員の被害、施設、設備の被害状況を点検し、ラジオ・テレビ放送の維持に万全を期す一方、被災者の救援、災害の拡大防止に必要な情報提供につとめる。放送中の平常番組を中断し、臨時ニュースに切り替える。その他、系列局との連携、支援体制などまで網羅するものとなった。212第5章 民放4局化時代

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