南海放送50年史
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真冬の朝はまだ、暗がりの中にあった。1995(平成7)年1月17日午前5時46分、人びとは激しい震動に浅い眠りを破られた。淡路島北部を震源とする直下型大地震は、マグニチュード7.2、震度7を記録した。「阪神・淡路大震災」の発生である。地響きとともに突き上げるような震動が10数秒も続き、倒壊した家屋の下敷きとなった人びとに火災が襲った。死者は6,400人余り、家屋の損壊は43万棟に上った。道路、電気、水道、電話など都市機能も完全にマヒした。この朝、わが社のテレビ放送は、午前5時55分に始まったばかりだった。テレビマスター勤務の仙波敏宏、鴨頭宏臣両技術部員はNNN地震速報をオンエアする一方、キー局からの緊急連絡に追われた。ラジオ放送は、午前6時55分からの生ワイド番組のために早朝出勤してきた田中和彦アナウンサーが、共同通信から送信されたニュース速報を伝えた。報道、映像取材要員が集まりはじめた。愛媛県下は松山・震度3、宇和島・震度2の軽震であったが、午前7時からの『ズームイン!!朝!』は急遽、讀賣テレビからの地震速報に切り替えられた。たまたまわが社が幹事社となって「合格祈願祭」企画が特集されることになっていたが、大災害の発生で中止となった。続く『ルックルックこんにちは』以降、テレビは午後6時からの『NNNなんかいニュース530プラス1』を除く全レギュラー番組を休止し、讀賣テレビ発のNNN緊急地震災害報道に切り替えられた。近畿一帯に不気味な余震が続いた。讀賣テレビは神戸支局が壊滅したため神戸市役阪神・淡路大震災208第5章 民放4局化時代阪神・淡路大震災(写真提供:共同通信社)燃え上がる神戸阪神・淡路大震災(写真提供:共同通信社)

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