伝えた。しかし、台風被害は予想をはるかに上回る大きさだった。温泉郡中島町では塩分をふくんだ強風が果樹園に吹き上げて収穫を前にしたミカンの樹を枯死させた。港の中では漁船多数が転覆沈没した。怒和島元怒和の集落は護岸防波堤が高波のため数カ所にわたって破壊し、海水が民家に流れ込んだ。高齢者が多い住民は消防団員らの懸命な救助活躍で避難できたが、民家の7割におよぶ27戸が無残に倒壊した。被害は全県下におよび、越智郡関前村でもミカン園が塩害で全滅するなど被害総額は355億5千万円に達した。愛媛県は15年ぶりに災害救助法の適用を決定した。台風襲来から一夜あけた9月28日、小倉記者は中島町怒和島を訪れた。無残に壊れた家の前で住民は茫然自失の状態におちいっていた。マイクを向けるのに心が痛んだという。『なんかいNEWS530』は全県下におよんだ被害状況と救援対策についての報道が一区切りしたあと、「被災地を行く」シリーズ特集を4回にわたって放送した。ラジオ・テレビはその後も義援金の受付口座や救援物資の送り先を繰り返しお知らせするなど、被災地から感謝の言葉がよせられた。しかし反省点は少なくない。なにより、台風がもっとも猛威をふるった9月27日の深夜から28日朝にかけての報道番組がテレビ13分、ラジオ20分という僅かな対応で、地域の報道機関としての役割を充分に果たせたと言えるか。結果としての災害報道だけでなく、台風襲来にそなえて住民のいのちと暮らしを守る情報提供が期待されていることを忘れてはならないのである。報道、技術、編成を中心とする全社的な報道体制を確立するとともに、地域の人びとに信頼される災害報道のありかたについて、どのようなかたちで情報提供できるか、いっそうの努力が求められることを自覚しなければならないと考える。207第3節 あいつぐ自然災害
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