南海放送50年史
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くり物語”」を南海放送サンパークで開催し、パネラーの田村美幸氏(「公共の色彩を考える会」委員長)、数学者のピーター・フランクル氏などがアメニティ(快適生活環境)をテーマに街づくりについて語りあった。一方、「ふるさとを美しく」スポット・キャンペーン企画はテレビ・ラジオの営業に期待を上回る果実をもたらした。テレビは映像ライブラリーから石鎚山系などの美しい風景を選りだし、「ふるさとを美しく」キャンペーンロゴに協賛企業名をアナウンスする。郊外への商圏拡大でラジオ・テレビ広告から遠ざかっていた松山市大街道、湊町の商店など小口スポンサーがひさびさに復活した。「ふるさとを美しく」キャンペーン協賛広告は前後10年間も続く異例のロングラン企画となり、本社を中心とする地域の営業活動に大きく貢献した。1992(平成4)年6月14日、南海放送制作のテレビドキュメンタリー『生まれたままの地球~南極最高峰に登る~』が日本テレビ系列で全国放送された。人間の果てしない欲望がもたらした地球環境の汚染を、ただ一つ無垢のままで残されている南極大陸からのメッセージとして伝えるテレビドキュメンタリーである。世界的な写真家白川義員氏(川之江市出身)は「地球再発見による人間性の回復」をライフワークに地球の原初の風景を求めて極限の世界に迫る。1991(平成3)年、白川氏は地球に残された最後の無垢の大陸として、南極大陸の撮影に着手していた。年明けの1月には、南極大陸の最高峰ビンソン・マシーフ(標高4,897メートル)の登頂に挑むことになった。その秋、準備のために一時帰国した同氏から南海放送に同行取材の話があった。先に南極入りしている白川氏と現地で合流し、一緒にビン『生まれたままの地球』200第5章 民放4局化時代

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