南海放送50年史
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第5章 民放4局化時代南海放送は1993(平成5)年10月1日、創立40周年を迎えた。しかし第62期(1992年10月~1993年9月)はバブル経済の崩壊、またテレビ第3局(伊予テレビが1992年10月開局)の影響をまともに受けた決算となった。営業収入は前期比91.8%、金額にして7億7,700万円という大幅な減収減益決算であった。これまで経験したことのない厳しい経営環境のなかでの創立記念日となった。午前11時から開かれた社内の記念式典で、創立時に入社した大西社長が「遥かにも来つるものかな」との感慨をこめて、次のようにあいさつした。「地域に明るい灯火をともそうと、幾多の困難を乗り越え、今日の南海放送を築いてきた。第62期は円高、冷夏と台風災害、政局混迷、テレビ多局化などの影響で、厳しい決算となった。会社創立以来、これほどの厳しい経営環境の変化を経験したのははじめてである。愛媛ではテレビ第4局の動きもあり、よほどの覚悟、考え方の脱皮がなければ、この難局を乗り切ることはできない。総力を結集して新しい南海放送の企業像を創り出し、地域にともし続けてきた明るい灯をさらに輝かしてゆく決意だ」。南海放送制作のキャンペーンスポット作品『甦れターナー島の松』が、平成5年度の民放連統一キャンペーン「地球大好「ふるさとを美しく」キャンペーン未曾有の経営環境第2節創立40周年198創立40周年記念式典 大西社長

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