愛媛地区が民放4局地区になり、広告の限られたパイを分け合うとともに景気が低迷する中、スポンサーのテレビ視聴率に対する目が一段とシビアになってきた。そこで、4局がそれぞれフルネット局になったのを機会に、1995(平成7)年4月、愛媛地区のテレビ視聴率調査をコンピュータに自動記録装置を接続した機械式にした。テレビ視聴率調査は大学のサークルへの委託期を経て、1979(昭和54)年からビデオ・リサーチ社による愛媛放送との共同調査を、松山市内350世帯を対象に実施してきた。しかし、この調査は年4回(4週)調査の日記式であり、集計に手間どるため結果がまとまるまで時間がかかった。これに対し、スポンサー、広告会社からはきめ細かい広告展開のために、常時、新しいデータを要望する声が強く、東京・大阪支社を中心に、営業活動の密度をアップする機械式による調査への要請が高まってきた。このため、新しく開局する愛媛朝日テレビを含めた4社とビデオ・リサーチ社との間で協議を重ねた結果、松山市と重信町、川内町、砥部町の1市3町で200世帯を対象に、毎月第1月曜日から連続2週間、機械による調査を行うことで合意し、1年近い準備期間を経て1995(平成7)年4月実施となった。これで1週間後には調査結果が入手できることになり、信頼性の向上とともに、スポット広告を中心とする営業活動に不可欠のものとなった。ところで、わが社のテレビ視聴率は、若者向けの路線で好調だったフジテレビ系列の愛媛放送に押され低迷していたが、バラエティ番組を中心とする日本テレビの視聴率対策が進む中、1993(平成5)年から逆転、1994(平成6)年は日本テレビがフジテレビの13年連続3冠王を阻止して年間3冠となったのと併せて、わが社も愛媛地区で視聴率3冠を達成。これ以降、9年連続3冠王を獲得した。テレビ視聴率調査 機械式に197第1節 激動期の経営
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