南海放送50年史
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制作には、これまでに増して力を注いでいった。愛媛朝日テレビ開局の影響はいろいろな形で試算されたが、競合の激化はもちろん、単発も含めたテレビ朝日系列の番組移行に伴う減収は2億5,000万円を超えた。これに変わる日本テレビ系列の番組導入で仮に1億5,000万円カバーできたとしても、残り1億円は新たなローカルセールスが必要であった。加えて夏の高校野球のテレビ中継が不可能になったことの影響も大きかった。しかしこうしたハンディを抱えながらも9月の第64期決算では営業収入87億847万円(うちラジオ、テレビ収入73億7,639万円)をカウントし、3年ぶりに増収、増益となった。これはテレビ、ラジオともスポットが好調なうえ、『悲劇の予言者~海軍大佐水野広徳の戦い~』(29局ネット)、民教協中四国地区大会関連特番『きょうの家族・あしたの家族』(8局ネット)のネットセールス、高校野球中継に代わる「530スペシャル」の販売で成果をあげたことにある。松山市営球場での夏の高校野球県大会のテレビ実況中継は、南海放送テレビ開局後3年目の1961(昭和36)年から始まり、第51回大会で全国優勝を遂げた松山商業高校ナインの県大会における活躍など球史に残る名勝負、名選手の活躍をNHK松山放送局と競い合って伝えてきた。夏の高校野球は朝日新聞の主催で運営されている。はたして愛媛県高校野球連盟、朝日新聞社から民放のテレビ中継が愛媛朝日テレビだけに許可されること、テレビニュースにおける高校野球県大会の取り扱いにも一定の制限を受けるとの通知を受けた。わが社は34年にわたる実況中継の実績を強調して継続を繰り返し要請したが、受け入れられなかった。炎天下、流れる汗をぬぐいながら望遠レンズのカメラに葦簾(よしず)をかけて白球を追った日々があった。夏の高校野夏の高校野球 テレビ中継の中止194第5章 民放4局化時代

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