南海放送50年史
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ぐに習熟して、誰もが使えるようになった。『なんかいサンデー9』を中止して7年間の空白も制作現場の意識を変えた。森巌報道制作本部副本部長は番組キャスターに実力派の永江孝子、入社2年目のホープ野志克仁両アナウンサーの起用を決めた。二人とも大学落語研究会の出身である。社外の作曲家河本忠氏に依頼したテーマ曲も軽快で好評だった。番組セールスでは愛媛信用金庫、三越松山店などが決まり、営業面でも順調な立ち上がりとなった。バブルの崩壊直前ではあったが、日曜日朝のローカル枠は広告主にも歓迎された。2年後、ネット番組の変更で放送時間が9時30分から10時30分までの60分番組に拡大されて、『もぎたてテレビ60』になった。しかし、まだ視聴率が物足りなかったので「ラーメン特集」を組んだところ、一挙に20%にはね上がった。3か月後の視聴率調査では「お寿司屋さん特集」(1994年6月)が30.7%の大記録に達した。これで視聴率調査週間の数字かせぎは「たべもの歩き」でいくことになった。ふたたびネット番組による放送時間の移動があった。1996(平成8)年10月の番組編成では午前11時45分~午後0時55分の70分番組に拡大された。主な視聴者層が重なるNHKの『のど自慢』との勝負が避けられなくなった。さらに愛媛の民放4局がでそろい、この年2月からは自動記録方式による視聴率調査が行われることになった。毎月の前半2週間の番組が対象になる。視聴率対策は松山市内中心のグルメ特集が最強だった。その結果、視聴率は平均15%を確保し、裏番組のすべてに勝つことはできたが、「グルメ番組」の印象が強くなった。制作担当者の苦心は、それを地域の生活情報として幅広い年齢層の視聴者に楽しくつたえることにあった。プロデューサーの大西康司らが番組スタート時から大切に葉書、FAX、メールが活躍183第4節 昭和から平成へ名物たこ焼き屋さんで野志アナウンサー下校時の中学生とも楽しく話をお寿司屋さんで味の秘訣を聞く永江アナウンサー潮干狩りを取材

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