南海放送50年史
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「社会の谷間の問題を一人の庶民、一人の視聴者の立場で報道し分析してみたい」との中山勝己キャスターの言葉を、地域にひらかれたニュースへの期待をこめて紹介した。長い年月にわたるローカルニュース模索の前途にひとすじの希望の光がさしてきたかのように感じられた。日曜日朝のテレビにひさびさにローカル番組が復活した。『もぎたてテレビ10o’clock』(午前10時~10時30分)である。滑りだしは3%という低空飛行だったが、視聴率の数字以上の手ごたえがあった。番組誕生のきっかけは、1991(平成3)年1月末の販売会議だった。4月新編成で日曜日午前10時からの30分が空いたと報告された。番組スタートまで2か月の余裕しかなかったが、土居報道制作本部長からその時間をローカル番組にほしいとの意思表示があった。土居は東京支社長をつとめていた時代、NHKのローカル番組『関東甲信越小さな旅』をよくみていた。アナウンサーが小さな町や村のささやかな暮らし、歴史をたずねて歩く。忘れられたような地方の風景やそこで暮らす人びとの年輪を刻んだ顔があった。番組題名の「もぎたて」は創立35周年にちなんで社内募集したステーションキャンペーンの応募作の中にあった。その時には選ばれなかったが、新鮮な響きが記憶にあった。映像取材はENGカメラ、放送にはNスタ(ニューススタジオ)の自動操作カメラを使うことにした。番組制作といえばスタジオカメラ、スウィッチャー、音声、照明、映像調整、アルバイトなど大勢の技術スタッフで仕事をするものと決まっていたが、30分番組に大きな制作費はかけられなかった。3年前にできたNスタの機器を制作ディレクターが操作して、キャスターがVTR映像を紹介しながら番組を進行する。Nスタの操作は若いディレクターがす『もぎたてテレビ』がヒット182第4章 ローカルワイドの時代スタジオ風景 小さいスタジオを大きく見せてスタジオ風景 小さいスタジオを大きく見せて

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