南海放送50年史
199/358

愛媛選挙区での11連勝という保守王国の厚い壁を破ったのは農産物輸入自由化に反対する農家の反乱である。その口火となった南予果樹同志会の「自民党不支持決定」は、報道部兵頭英夫記者のスクープだった。4月16日の『なんかいNEWS530』はトップでこのビッグニュースを報じた。この’89年参院選挙における潮流の変化は、90年代における政治勢力再編成へのきっかけとなった。1990(平成2)年2月18日に投票が行われた第39回総選挙で、自民党は安定多数を獲得、社会党も躍進して愛媛第1区では社会党の新人候補宇都宮真由美氏が選出された。1993(平成5)年7月18日に投票が行われた第40回総選挙では、愛媛1区で日本新党の新人候補中村時広氏が当選、自民党が過半数を割り、自民・社会両党主導のいわゆる〈55体制〉が38年ぶりに崩壊する。ところで、90年代政治の季節の到来は、選挙報道における速報競争に拍車をかけた。’89参院選挙開票速報で、わが社はコンピュータ・グラフィック(CG)のグレードアップ、帳票に代わる本格的なコンピュータの端末利用を導入した。全国情勢の展望にはテレビでNNN選挙システムを活用、ラジオは共同通信社選挙報道デスクとのホットライン接続で厚みを加えた。野党の追い上げを予測して、参院選挙では初めて得票数の独自集計を行っていたが、選挙特別番組で池田候補の事務所から中継をはじめたとたんにNHKが「池田当確」を打ったため、あわてる一幕もあった。あまりに早すぎる「当確」に視聴者の批判が強いことを考えて、わが社は愛媛県選挙管理委員会による公式発表の開票率が10%を超えるまで「当確」は打たない方針を決めていた。これまで当確判定にはかなり慎重だったNHKが選管発表の開票率7.9%という早い段階で、公式票ではリードされている候補者の当確を打つということを予想していなかった。以後の選挙報道では当確速報競争が過熱化し、わが社独自に集計した得票数を放送にのせて速さを競うことになった。178第4章 ローカルワイドの時代

元のページ  ../index.html#199

このブックを見る