南海放送50年史
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1986(昭和61)年11月を底にして上昇期に転じた景気は、1989(平成元)年12月で拡大期間が37か月となり、「いざなぎ景気」(1965年11月から4年9か月)、6月には「岩戸景気」(1958年7月から3年6か月)を抜いて戦後2番目の長さとなった。バブル景気である。1990(平成2)年、平成いざなぎ景気といわれる中で、わが社は設備投資を積極的に行い、APS(Automatic ProgramSystem)の更新を中心に、新しいテレビ送出センターの整備などを進めてきた。しかし、1990(平成2)年8月2日イラク軍がクウェートに進攻、サウジアラビアなど産油国に利害関係を持つ米国は、ただちに軍隊を中東に派遣するなど緊張が高まった。このため原油価格が高騰した。これに加え、前年暮れからの相次ぐ公定歩合の引き上げで、高金利時代を迎え、株価が低迷すると同時に、政府の地価対策などもからんで、夏頃から地価の下落傾向があらわれ、景気の先行きは不透明なものになってきた。こうしたなかで、ラジオは「グルメマップ」など新しい企画を成功させ、売上を順調に伸ばし、第59期(1989年10月~1990年9月)の営業収入は前期比7.3%の伸びを示した。テレビは、かろうじて目標を達成したものの、売上のシェアが50%を超す東京支社が苦戦を強いられた。新しいテレビ局やFMラジオ局の開局がつづくなかで広告出稿の一極集中がますます顕著になってきたことが、東京、大阪両支社での営業活動を厳しいものにしていた。制作部へ一本の白黒フィルムが届けられた。今治市のカメラ愛好者が撮影した、昭和初期の頃と思われる今治近郊の観光地めぐりや、家族の姿などが写っているフィルムであった。『ドキュメント愛媛の昭和史』平成いざなぎ景気175第4節 昭和から平成へ更新されたテレビAPSのモニター画面

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