南海放送50年史
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昭和が終わる日という歴史的な節目に出合って、わが社の放送は立ち上がりの早さなど、まずは無難にのりこえたとはいえるが、他局とほとんど同じ趣向のいつ終わるとも知れぬ長時間の番組を並べる結果となるなど反省点は少なくない。かくある日を期してネット番組はあらかじめB編成のプログラムが用意されていたのだが、一方、地域の視聴者のためにきめこまかな生活密着情報をひんぱんにとり入れるなどのローカル民放としての独自の番組編成の工夫が不足した。2日間にわたる特別番組への反省として門田会長は、「編成のニュース感覚と報道制作の瞬発的な即応力、機動力がさらに必要」と総括した。ふだんに生かされるべき貴重な教訓であろうと考える。日本経済は、1985(昭和60)年9月に開かれた5か国蔵相会議のプラザ合意以降、急速に進んだ円高の影響を受け、輸出が減退し、民間の設備投資の伸びも鈍化した。一方、個人消費は物価の安定からくる実質賃金の上昇やローンの金利引下げなどで、住宅建設を中心に堅調な動きをみせた。しかし、景気の停滞感が深まり、広告費の伸びは低迷した。こうした状況をうけて、キー局のネットワーク配分も厳しくなり、営業環境は厳しさを加えた。一方、厚生年金の負担増大など新たな経費支出が加わった。わが社は、設備投資の圧縮など、経費の節減に努めたが、第55期(1985年10月~1986年9月)はラジオ営業収入が前期を割り込み、営業収入全体で0.9%の低い伸びにとどまった。一方営業費用は1.2%増大、同期の営業利益は10.4%の減益となり、2億円台を割り込んだ。1989(平成元)年4月になると、商品やサービスに3%を課税する消費税が導入された。しかし第58期(1988年10月~1989年9月)は、前年比3.5%と営業収入を伸ばしている。円高不況下の営業174第4章 ローカルワイドの時代

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